赤い宇宙船で来た

育った環境で悪影響を受けた記憶と感情の棚卸しなどをしています。吐き出しが多いです。あとは、メモ、日記、ひとりごとです。

地震に対する気持ちと備えること

24年前の1月17日、阪神淡路大震災
暗闇の中、ベッドの上でボールみたいに跳ねていることしかできなかったです。立ち上がることもできないから、安全な所になんてとてもできませんでした。
ベッドのすぐそばに置いていた当時飼っていた文鳥の鳥かごが落ちてしまっても、手が届きそうな位置にあるのにそれさえ拾い上げてやることができなかったです。
家の中はめちゃくちゃになりましたが、家屋に深刻な被害はなく、家族はみんな無事で、文鳥も外飼いの犬達もみんな無事でした。私は兵庫県住まいではありませんでしたが、2キロ程行けば兵庫県でそこから先は震災で大変な被害がもたらされていました。
どうやってそこまでいったのか覚えていませんが、ボランティアで神戸市に行きました。建物も色もなくなっていて、瓦礫の山が続き灰色と砂色の町になっていたのを覚えています。

2018年6月18日、大阪府北部地震
私はまだ寝ていて激しい揺れで目覚め、隣で寝ている主人と声をかけ合い、フプキの鳥かごに向かおうとしました。でも揺れがひどくて歩けず、半分倒れながらフプキの元へ行きました。
よろけながらもフプキの安全の確保、玄関のドアに靴を挟んで避難経路の確保、貴重品を持ちました。間も無く揺れは収まりましたが、揺れ返しが来るかもしれないので急いで着替えて、すぐに逃げられる様に態勢を整えました。揺れが収まると身体が震えて涙が出てきました。泣いているというか、ベソをかいている感じでしたが。両親や姉にベソをかきながら電話をして無事を確認しました。
ニュースで地震情報を見ても、震度の発表と我が家の揺れの強さが全然合わなかったのですが、我が家はマンション住まいで部屋は10階よりも上にあるので、余計に揺れた様でした。

大阪府北部地震の時、「どうしよう!主人とフプキを守らなくちゃ!!しっかりしなくちゃ!!」そんな気持ちで動いていたけれど、本当は阪神淡路大震災の怖さが蘇ってすごく怖かったし、だから揺れが収まった時泣いてしまったんだと思います。

近い未来に必ずくると言われている南海トラフ地震の事を考えると、本当に怖くなります。地震に備えて何をしておけばいいのか、何を揃えておけばいいのか。フプキのことはどうしてやったらいいのか。地震の時、家にみんな揃っていたらいいけど、離れ離れだったら?出先だったら?フプキが家にひとりぼっちだったら?
考えれば考えるほど怖くなり、泣きたい気持ちになってしまいます。
でも、広範囲が被災する大地震になったら、自分でなんとかするしかない状況になるかも知れないです。その上で考えるとやっぱり自分でできることは備えることしかありません。
色々備えたって、自然災害なんてどうなるかわからないから、無駄になることだらけかも知れない、備えてたって意味がないかも知れません。
でも、備えることで家族を守れる可能性が少しでも増えるのなら、がんばろうと思います。どんな備えが考えられるのか、書き出して、できることから少しずつ進めていこうと思います。