赤い宇宙船で来た

育った環境で悪影響を受けた記憶と感情の棚卸しなどをしています。吐き出しが多いです。あとは、メモ、日記、ひとりごとです。

妄想で怖くなってしまいました。

何故かふと、このブログの家族関連記事を家族の誰かが読んだらどう思うんだろうと考えてしまいました。

親はない。
見るとしたら、ふたりの姉のどちらか。

誰だとしても、やばい⋯。どうしよう⋯。

と焦り、怖くなりました。
でも、私が後ろめたさを感じて怯えないといけない事?と自問すれば、そんな事はないんです。

私にだって、ようやく気付けた苦しさとか悔しさ、悲しみがあって、それを書いてあるんだから、読んでもらっても構わないなと思いました。
気配を消して過ごしていた実家時代。
自分に気持ちの折り合いをつける様に言い聞かせ、周りの顔色を伺って空気を読んでいたから、成立していただけの話。
それは私にとって、自分があの家族の中で生き抜く為に必要な事だったのと同時に、平穏に和やかにみんなで暮らしたかったから選んだ方法でもあると思っています。

何の悩みもなく、自由にわがままに生きている。生意気だ。

と家族は私に対して思い、今でも思ってるでしょうが、それは絶対にないからと言いたいです。
私が虚ろな目をして、表情も乏しかったのを気付かないふりしていたでしょう?優越感に浸っていませんでしたか?と聞きたい。

自分の部屋に一人でいる時、意味もなく勝手に涙が出てくることが何回あったか。

悲しかったのは自分だけ、苦しかったのは自分だけと思わないでほしい。私が泣いたり喚いたりしなかったからって、何もなかったなんて勘違いしないでほしい。

もし、家族の誰かが読んでいたとしたら、それは私にとってはチャンスなんだろうな。
ヘビーな記事は下書きで終わってしまってほとんど公開に至っていないから、あまり意味ないのかも知れないけど。

誰かが読んでるなんて、ただの想像でしかないけど、怖くなってそのまま記事を削除したり退会しないのは、わたしの成長なのかも知れないなと思います。

もし家族の誰かが読んでいたら、
私に「読んだよ」って、連絡下さいね。

なんてね。